京都政権だった!長州藩と薩摩藩主導の幕末戦争と明治維新の歴史 西郷隆盛の死因とは?

幕末の京都に政権があるも同然だった

幕末の時代に、江戸幕府で最後の将軍である徳川慶喜は、将軍の座となりながら、江戸幕府ではなく京都に政治の拠点を置いていました。

これは、開国を迫る黒船があらわれてから、尊王攘夷の高まりを受けて、京都にいる天皇の意見をないがしろにできなくなったためです。

さらに、公武合体によって、公家と武家の関係はいっそう近くなります。

将軍家茂が死亡してから、将軍後見職から仕方のない形で、15代将軍になろうとした徳川慶喜。

禁門の変で活躍をして、長州藩の軍勢を追いはらい、後の平和的な政権の移譲である大政奉還も実施しました。

これも、全てが京都内で行われたことです。

よって、最後の将軍である徳川慶喜本人は、ほぼ全ての政務を京都内でおこなっています。

本当に、江戸に帰ってきたのは、鳥羽・伏見の戦いで朝敵の汚名を恐れて、退散したときくらいです。

これが、徳川慶喜が、実質、江戸幕府ではなく、京都政権で活動していたとされる理由です。

長州藩と薩摩藩の戦争と明治維新の歴史

禁門の変後、長州藩と薩摩藩は、直面した戦争から、欧米列強がてごわく、勝つことが困難であるという現実をつきつけられ、従来の幕府の徳川のための政治に限界を感じます。

もはや、外国をおいだす攘夷は不可能だと思い知ったんですね。

倒幕をして欧米列強に対抗できる新たな近代国家を作ろうとしたのも、そのためです。

ひそかに手を結んでいた長州藩と薩摩藩は、まず、第二次長州征伐をきりぬけるために、薩摩藩からの近代兵器の提供を受けました。

そして、見事に、軍の数では劣勢でありながらも、幕府側を鎮圧するに至ります。

そして、大政奉還後、幕府が政権の中枢を担っていることに危機感を感じた薩長は、旧勢力が残存することを嫌い、幕府側が戦争で手をだすように、こちらから誘い込みます。

そこで、幕府側の人間が激怒し、歴史上日本を二分する戊辰戦争が始まりました。

旧勢力排除のために、大阪城にこもる幕府軍に対し、錦の御旗をだして、幕府軍が朝敵であるということを示します。

ここで、徳川慶喜が朝敵を恐れて逃げていなければ、逆の歴史として、幕府軍の勝利もあり得たかもしれませんが、大将が逃げたことで幕府軍は総崩れになってしまいます。

そのことで、勢いを得た薩長は、快進撃で江戸に向かおうと進軍します。

幕府の海軍で、横から大砲で薩長軍に大打撃をあたえれば、まだ勝つチャンスはあったかもしれません。

しかし、もはや欧米列強につけこむ隙を与えることを恐れ、朝敵になってしまった慶喜は、自ら謹慎をして、江戸を平和的にあけわたします。

この時点で、新政府軍に味方となる諸藩がつき、圧倒的に優位な状況となりました。

これで、上野戦争から会津を攻略し、最後に、函館・五稜郭の戦いで幕府軍を破りました。

明治維新が起きたのは、東北で幕府軍と戦っている最中の出来事です。

明治政府は、これまでの藩と幕府で分裂した軍では、近代国家に対抗はできないとし、中央集権型の平民による大規模な軍を想定します。

なぜなら、もはや鉄砲や大砲の技術が、調練で専門的な刀とヤリの戦士になる武士よりも、強力なものになっており、少しの調練で平民にも扱えるようになるからです。

武士は士族となり、俸禄などの給料は失い、廃藩置県が断行されました。

これを行えたのも、西郷隆盛が軍勢を中央にまとめていたからです。

地方で反乱があっても、鎮圧に行く圧力を持っていました。

また、地租改正で、米から現金への税の徴収方法が変えられます。

しかし、農民や士族の反発は強く、ここから各地で反乱が発生します。

西郷隆盛の死因とは

西郷隆盛が最期をとげたのは、新政府のやり方に不満を持つ士族最後の反乱である西南戦争です。

明治維新で、明治政府ができてから、士族は俸禄である給料も撤廃され、刀を帯びることも禁止されました。

ましては、農民のように畑を耕す力もなく、商人の商売のスキルもありません。

それで、生活に困った士族は、明治新政府ができてから各地で反乱を起こします。

その最後の大規模な反乱が西南戦争です。

西郷隆盛は、当初、負けると分かっていても、士族の反乱を終わらせるために戦わざるを得ない立場となっていきます。

西郷隆盛の死因は、自害によるものです。

確かに、西郷隆盛は、腫れ物の病気を患っていて、馬にも乗れないほど重症でしたが、死因とはされていません。

陸軍大将である西郷隆盛は亡くなり、武力では勝てないと悟った士族は、自由民権運動など、演説の場で新政府と戦おうとします。

国際

米朝首脳会談の内容と結果 北朝鮮の非核化の失敗 しつこい拉致問題

米朝首脳会談の内容と結果

世界の中で唯一の独裁国家となっている北朝鮮。

アメリカを中心に各国から経済制裁を受け、批判されていた日本に向けたミサイル発射実験を辞めるようになりました。

仲の良い中国とロシアまで制裁を行うようになり、世界中で北朝鮮包囲網ができたためか、北朝鮮も平昌オリンピックのあたりから、積極的に韓国と対話の機会をもうけるようになりました。

韓国もこの流れにのって、アメリカと北朝鮮の平和的解決の機会をつくろうとします。

そして、2018年6月12日に、史上初めてとなる米朝首脳会談が行われました。

これは、さすがの北朝鮮も、経済制裁が効いたのだと思われます。

最近の経済制裁では、石油の輸入の制限や繊維製品の輸出を禁止などがあります。

今は、なんとか国内経済はなりたっているが、これから先、制裁が強化されれば、ダメージは大きくなると考えたのでしょう。

そこで、シンガポールで、トランプ大統領が、金正恩氏に平和的に核兵器の完全かつ検証可能で不可逆的な非核化をするよう要請しました。

その代わりに、金正恩氏の現体制は保証するといった内容が話されました。

アメリカと北朝鮮が、ここまであゆみよった結果は、結果的にはすばらしいことです。

ただし、問題は、北朝鮮が真面目に非核化にとりくむかといった点です。

実は、アメリカそのものが、北朝鮮の核兵器の数を正確には把握していません。

なので、結果として、核兵器の完全かつ検証可能で不可逆的な非核化なんてものは不可能なのです。

だから、北朝鮮からみたら、非核化の費用を日本や韓国にださせて、核兵器がなくなったかのようにパフォーマンスをし、制裁解除してもらうという最悪のシナリオがなりたちます。

それで、またミサイルを打ちだしたら、今度こそ激怒したアメリカは戦争をしかけてくるかもしれません。

さすがに、そうなると、金正恩体制は崩壊しますから、核実験はしない可能性は高いと思います。

なので、相手国を壊滅させるほどの核兵器を見つからないよう静かに保持しておくことが一番正しいでしょう。

つまり、外交は、アメリカではなく、北朝鮮に有利な方へと進んでいるのです。

北朝鮮の非核化は失敗

私なりには、米朝首脳会談は失敗だったように思えます。

非核化も大事ですが、核兵器やミサイルの使用を今後一切禁止するなど、軍隊の無力化に近いふみこんだ内容にすべきでした。

もし、それを破ったと評価されたら、戦争かきつい経済制裁をすると宣言しておくべきです。

また、今後、トランプ大統領は、在韓米軍を撤退させて、無駄な予算をカットする方向で動きそうです。

トランプ大統領は、アメリカが世界の警察になることを良く考えていません。

そうなると、韓国は、自国の軍隊のみで国防をしなければなりません。

ここで、問題になるのは日本です。

今まで、韓国が壁になっていた反日の核保有国の脅威が、在韓米軍の撤退により、身近なものになるでしょう。

拉致問題はしつこいのか

ここで、日本の立場に戻りますが、米朝首脳会談では、拉致問題について重要な問題としてとりあげられませんでした。

もはや、北朝鮮にとって、拉致問題は解決したことなのです。

最初に、一部の拉致被害者を解放したら、北朝鮮にまだいる残りの拉致被害者には知らんぷりです。

この外交に不利な状態で、拉致被害者の帰国は実現するでしょうか?

非核化すら怪しいのに、拉致被害者が帰ってくる可能性はかなり低いはずです。

この問題について、いい加減しつこい、諦めろという評価もあります。

それは、家族の立場でものごとを考えてないからです。

かなりの時間を要しますが、日本の立場を北朝鮮に何度も伝えていくしかありません。

前の小泉政権下のように、何か見返りとなる金銭や援助がないと、厳しいと考えられます。

国際

ラストエンペラーの意味は何なのか 愛新覚羅溥儀と妻の波乱の人生 清王朝の系図の最後

 

ラストエンペラーの意味

ラストエンペラーとは、世界全国で歴代に建てられた王朝の最後の王のことを示します。

その国にとって滅亡するときに在位していた王様のことです。

世界各国で国が征服されて新しい国が領土を支配すると、基本的に前の王様は捕虜として捕まったり、処刑されたりします。

中には、他国を頼り、亡命して逃げたりすることもします。

ただ、例外として、植民地として国が征服されると、王自体が消滅するケースがあります。

平和的に国を変えるのであれば、禅譲という形で、最後の王が、王の位を新たな王へと儀式で譲り、前の王に新たな一定の身分を与えます。

これらは、ヨーロッパの国々や中国の過去の歴史を考えれば、分かるはずです。

清国では、領土を、他の国に植民地として奪われても、王にまでは、手をだされませんでした。

今回、お伝えするラストエンペラーであり、清国の系図の最後に登場する愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)は、残念ながら、8割は、不幸なパターンです。

愛新覚羅溥儀は、中華民国による攻勢で、清国が滅んで最後の王となり、最後に犯罪者としてソ連に捕縛され、中華人民共和国へと移送されます。

つまり、皇帝から犯罪者にまでランクダウンした壮絶な人生をおくっているのです。

ただ、釈放後は、中華人民共和国から公民とされ、おだやかな人生を全うしました。

従って、残り2割の幸せは、平民として一定の身分をあたえられ、結婚し、平和で平凡な生活を手に入れたことです。

愛新覚羅溥儀は、詳しく考えれば、2つの国家のラストエンペラーとされています。

1つ目の国では、清国系図の最後の君主とされており、2つ目の国では、日本の傀儡国家とされる満州国の初代皇帝で最後の皇帝とされています。

ただ、満州国は、他の国々から国家として認められていないので、ラストエンペラーの意味は、清国最後の皇帝ということで良いと考えます。

愛新覚羅溥儀とその妻の人生

愛新覚羅溥儀の小さい頃は、当時、欧米列強に清国の領地を部分統治され、清国は、西太后により、横暴で好き勝手な政治が行われてました。

圧倒的な力を持つ近代国家になす術がなく、具体的な打開策はありません。

西太后の死後、そんな清国の末期的な状況で、彼は宣統帝として擁立されます。

その後、約3年で当然のごとく、清国は滅亡することとなりました。

これは、1912年に、辛亥革命で、新たな国家である中華民国の誕生によるものです。

そして、中華民国に大清皇帝として、幼い彼は保護される立場になりました。

そして、10年近く、皇帝として平和なときを過ごし、その間、正妻の婉容と側室の文繍と婚約を果たします。

しかし、1924年に、首都北京でクーデターが起きて、住んでいた紫禁城を失い、住む場所も権力も失います。

それで、イギリスやオランダに助けを求めても拒否され、しかたなく天津の日本にて保護を受けることになりました。

このとき、日本以外の欧米で保護を受けていれば、彼の人生もましだったかもしれません。

ところが、1931年に側室の妻文繍と離婚し、満州事変で日本と中華民国に争いが起きます。

このことで、日本軍が満州を占領して、強引につくった満州国の元首として利用されてしまいます。

なぜなら、彼は、女真族で満州に縁がある人物だからです。

1934年に、満洲国の皇帝である康徳帝に即位しました。

1937年に、新たに譚玉齢を側室にしますが、1943年に、譚玉齢が早世したこともあり、李玉琴を新たに側室とします。

ただし、皇帝としては、日本の操り人形で、好きなことができません。

こうして、1945年、太平洋戦争で日本の敗戦が濃厚になったときに、日ソ中立条約破棄のソ連の侵攻で満州国は崩壊。

皇帝を退位し、日本へ亡命しようとします。

しかし、亡命途中に、ソ連に捕まってしまいました。

彼の正室、婉容は日本に保護されたときから、アヘンによる中毒がひどくなり、亡命後、間もなく死亡してしまいます。

唯一、李玉琴だけが長生きし、1957年に、溥儀と離婚して、新たな家庭を築き、幸せに暮らしました。

溥儀は、ソ連に捕まってから、1950年に、中華人民共和国に身柄を移されることになります。

戦争犯罪者として、1959年に釈放されるまで服役を続けました。

その間、皇帝から平民として習慣をおくるよう教育されたようです。

そして、公民として庶民になり、北京植物園で仕事をするようになりました。

最後に、溥儀は、再婚もし、1967年、北京で亡くなりました。

映画「ラストエンペラー」の感想

現実に、溥儀の壮絶な人生をあらわした映画あります。

それが、映画、「ラストエンペラー」です。

これは、イタリア、中華人民共和国、イギリスの合同制作でつくられた映画です。

1987年に公開されることになりました。

物語を通して、宮廷の楽しい生活から犯罪者まで落とされた溥儀の内面の葛藤が良く表現されている名作です。

前半の王様気分から、とらわれた国家のいいなりになり、ほんろうされる負の部分がリアルに演じられています。

ラストに、亡くなった後の彼の行動が感動ものです。

国際

LGBTのチェックや割合と人権のまとめ 病気なのか世界的に考察する

LGBTのチェック

まず、簡単にLGBTとは、レズビアン(女性に対する同性愛者)、ゲイ(男性に対する同性愛者)、バイセクシャル(男性と女性の両性愛者)、トランスジェンダー(生まれたときの性別と本人が自覚する性別の不一致)の英語の頭文字を組み合わせたを文字であり、上記の4つの方々をまとめた集団のことを示します。

LGBTの人は、外見は普通の人とそれほど変わらず、性の対象への違いに悩みながら、マイノリティとして生活しています。

では、LGBTだと、具体的にチェックする方法はあるのでしょうか?

例えば、LGBTの中でも、トランスジェンダーに悩まされている方は、ジェンダー専門の外来がある病院で悩みをうちあければ、専門医が診断してくれます。

そのトランスジェンダーを性同一性障害の病気として見てくれる病院は、調べれば少数ながらも全国にあります。

それで、性同一性障害の診断がでれば、性別適合手術の許可を受けることができます。

ただし、ほかのレズビアン、ゲイ、バイセクシャルに関しては、恋愛や結婚に関しての性的志向なので、病気とするべきではないという意見が世界的にあります。

しかし、他人と性に対する考えが違うことが原因で、うつ病になるまで悩まされたりするときは、精神科や心療内科にいくべきです。

LGBTの割合と人権

LGBTが日本人口に占める割合は、どれくらいあるのでしょうか?

それは、過去に行われたアンケート調査で、全人口の8%で、13人に1人の割合だといわれています。

この割合は、世界のLGBTの割合を見ても、それほど少なくない割合です。

確かに、LGBTはマイノリティですが、社会的少数者でも、自身の人権を主張していくには十分な数だと思います。

近い話で、ある議員から、LGBTは子孫も残せず、生産性が低いという意見がありましたが、私は違うと考えます。

LGBTの人は、統計的に仕事のできる人が多い傾向にあり、労働生産性は高いと考えられているのです。

今は、普通の性的傾向を持つ人でも、結婚して子供を残すかは、自由に選択できる時代になっており、単純に生産性の低さをかたるべきではないのです。

女性の社会参加が制限されて、男性しか働けなかった時代、つまり、男は仕事、女は家事だと決めつけられていたときは、LGBTの人はかなり生きにくかったことでしょう。

昭和から平成初期までは、結婚のほとんどが見合い結婚であり、これを防ぐには、両親にもLGBTの正体をさらす必要がありました。

年功序列型の賃金や終身雇用制度が男性をしばっていたのです。

逆に、女性は、専業主婦になるか、寿退社するしか選択肢がありませんでした。

戦後になって、LGBTの議員が立候補して、マイノリティの人権を訴えたり、集団で性的少数者のための組織を集団でつくり、LGBTの権利を主張しています。

そして、LGBTの人のほとんどは、学校や会社などで、自身がLGBTであることを公開するのに差別がなければ、正体をうちあけたいと考えているのです。

今の自由な社会の風潮なら、ひょっとしてなら可能かもしれません。

世界のLGBTのまとめ

世界では、1970年頃と2009年あたりに、本格的なゲイパレードが行われました。

これは、同性愛者への差別撤廃を求める大規模なデモ活動です。

アイスランドでは、2010年に、世界で初めて同性婚を認める判断をしました。

それから、2014年にインドで、2015年にアメリカで同性婚を認めるという議案が採択されたのです。

つまり、つい最近になって、同性婚に対する偏見が世界的になくなってきたのだといえます。

日本も、世界の流れからは遅れてはいますが、将来的に、LGBTの自由や権利が偏見もなく認められることを願ってます。

国際

急落したトルコリラ スワップポイント生活の崩壊 日本人と親しい国トルコの危機

トルコリアの急落

今回、トルコの通貨であるトルコリアの急落を招いた原因は、アメリカとトルコの喧嘩でしょう。

トルコは、なんと、アメリカ人牧師を拘束してしまったらしいのです。

それも、政府に対するクーデターを画策していたというためです。

それほどの重罪なら、たとえ、未遂といえども、牧師を拘束する大義名分はトルコにあると思います。

しかし、アメリカ側は、牧師の解放を要求してきました。

無茶ぶりともいえる注文に、トルコ側は反対し、政治の陰謀や負けを認めない宣言を、エルドアン大統領はしました。

起源になっても、アメリカ人牧師は帰ってきません。

そうなると、アメリカのトランプ大統領は激怒します。

その報復として、大国アメリカお得意の制裁措置を発動しました。

トルコから輸入する鉄鋼とアルミニウムに加えられている追加の関税を2倍にしてしまうというのです。

これにより、トルコだけでなく、新興国の経済は大パニック。

先進国も間違いなく、株や為替などに影響を大きく受けてます。

トルコの通貨であるトルコリラは急落してしまいました。

今になっても、アメリカとトルコは、仲直りすることなく、混乱が続いています。

結局、トルコ国内の通貨の価値が安くなったら、価格の高騰が起こり、インフレが発生してしまうので、政策金利の利上げを行うべきです。

ところが、エルドアン大統領は、政策金利の利下げをすれば、インフレは落ち着くという意味不明な考えを述べています。

これにより、トルコの国内情勢は、今後、混乱はまぬがれないようです。

アメリカとトルコ、IS(イスラム国)との戦争に対して、意見の相違があったことから、元々、仲はあまりよくない関係でした。

今回のことで、かなり険悪な関係へと発展してしまったようです。

FXスワップポイント生活の崩壊

FX投資家の中では、トルコリラのスワップ金利が高いことが魅力であり、トルコリラを長期保有して、スワップを安定的に得ようとする投資家がたくさんいました。

ただし、今、スワップポイント狙いからトルコリラを持っていた人にとっては最悪の事態でしょう。

トルコリラの急落があまりに激しいため、トルコリラでスワップ金利を持っていた人は、多額の損切りかロスカットをしなければなりません。

つまり、トルコリラの長期保有は現実的に不可能なのです。

これこそ、FXスワップポイント生活の崩壊といえるでしょう。

為替相場は生き物なので、突然、イレギュラーな事態におそわれます。

特に、トルコリラのような新興国のマイナーな通貨は、その頻度が、ドル・ユーロ・円に比べて、異様に多く、危険で急激な値動きをします。

だから、安全に安定した投資したい人には、メジャー通貨で、できるだけ長期保有しないトレードをおすすめします。

為替差益を狙ったスイングトレードで、長くて1週間の保有ですましたり、時間のある人は、スキャルピングよりスプレッドの影響を受けず、長く持つが1日で完結させるデイトレードを行うことを勧めます。

スワップ金利のトレードは、よほどの天才でなければ不可能です。

怖くて為替の変化にビクビクした生活をおくらねばなりません。

日本人とトルコ人の関係

終わりに、今、アメリカとは仲が悪いですが、トルコは親日国家です。

彼らは、男女問わず、日本人が大好きです。

だから、日本人男性や日本人女性は異様にモテます。

では、なぜ、トルコは日本人が好きなのでしょうか?

それは、明治時代、ロシアの脅威を恐れていたトルコが、日本が日露戦争に勝利したため、非常に感銘を受けたためです。

これにならって、トルコ自身も日本の近代化を模倣しました。

また、エルトゥールル号といわれる船が沈没したとき、日本人はトルコ人の救出を行いました。

さらに、その犠牲者の遺族に対する義援金まで集めたというのです。

これで、日本とトルコの関係が接近し、仲が良くなったというわけです。

国際