ラストエンペラーの意味は何なのか 愛新覚羅溥儀と妻の波乱の人生 清王朝の系図の最後

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ラストエンペラーの意味

ラストエンペラーとは、世界全国で歴代に建てられた王朝の最後の王のことを示します。

その国にとって滅亡するときに在位していた王様のことです。

世界各国で国が征服されて新しい国が領土を支配すると、基本的に前の王様は捕虜として捕まったり、処刑されたりします。

中には、他国を頼り、亡命して逃げたりすることもします。

ただ、例外として、植民地として国が征服されると、王自体が消滅するケースがあります。

平和的に国を変えるのであれば、禅譲という形で、最後の王が、王の位を新たな王へと儀式で譲り、前の王に新たな一定の身分を与えます。

これらは、ヨーロッパの国々や中国の過去の歴史を考えれば、分かるはずです。

清国では、領土を、他の国に植民地として奪われても、王にまでは、手をだされませんでした。

今回、お伝えするラストエンペラーであり、清国の系図の最後に登場する愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)は、残念ながら、8割は、不幸なパターンです。

愛新覚羅溥儀は、中華民国による攻勢で、清国が滅んで最後の王となり、最後に犯罪者としてソ連に捕縛され、中華人民共和国へと移送されます。

つまり、皇帝から犯罪者にまでランクダウンした壮絶な人生をおくっているのです。

ただ、釈放後は、中華人民共和国から公民とされ、おだやかな人生を全うしました。

従って、残り2割の幸せは、平民として一定の身分をあたえられ、結婚し、平和で平凡な生活を手に入れたことです。

愛新覚羅溥儀は、詳しく考えれば、2つの国家のラストエンペラーとされています。

1つ目の国では、清国系図の最後の君主とされており、2つ目の国では、日本の傀儡国家とされる満州国の初代皇帝で最後の皇帝とされています。

ただ、満州国は、他の国々から国家として認められていないので、ラストエンペラーの意味は、清国最後の皇帝ということで良いと考えます。

愛新覚羅溥儀とその妻の人生

愛新覚羅溥儀の小さい頃は、当時、欧米列強に清国の領地を部分統治され、清国は、西太后により、横暴で好き勝手な政治が行われてました。

圧倒的な力を持つ近代国家になす術がなく、具体的な打開策はありません。

西太后の死後、そんな清国の末期的な状況で、彼は宣統帝として擁立されます。

その後、約3年で当然のごとく、清国は滅亡することとなりました。

これは、1912年に、辛亥革命で、新たな国家である中華民国の誕生によるものです。

そして、中華民国に大清皇帝として、幼い彼は保護される立場になりました。

そして、10年近く、皇帝として平和なときを過ごし、その間、正妻の婉容と側室の文繍と婚約を果たします。

しかし、1924年に、首都北京でクーデターが起きて、住んでいた紫禁城を失い、住む場所も権力も失います。

それで、イギリスやオランダに助けを求めても拒否され、しかたなく天津の日本にて保護を受けることになりました。

このとき、日本以外の欧米で保護を受けていれば、彼の人生もましだったかもしれません。

ところが、1931年に側室の妻文繍と離婚し、満州事変で日本と中華民国に争いが起きます。

このことで、日本軍が満州を占領して、強引につくった満州国の元首として利用されてしまいます。

なぜなら、彼は、女真族で満州に縁がある人物だからです。

1934年に、満洲国の皇帝である康徳帝に即位しました。

1937年に、新たに譚玉齢を側室にしますが、1943年に、譚玉齢が早世したこともあり、李玉琴を新たに側室とします。

ただし、皇帝としては、日本の操り人形で、好きなことができません。

こうして、1945年、太平洋戦争で日本の敗戦が濃厚になったときに、日ソ中立条約破棄のソ連の侵攻で満州国は崩壊。

皇帝を退位し、日本へ亡命しようとします。

しかし、亡命途中に、ソ連に捕まってしまいました。

彼の正室、婉容は日本に保護されたときから、アヘンによる中毒がひどくなり、亡命後、間もなく死亡してしまいます。

唯一、李玉琴だけが長生きし、1957年に、溥儀と離婚して、新たな家庭を築き、幸せに暮らしました。

溥儀は、ソ連に捕まってから、1950年に、中華人民共和国に身柄を移されることになります。

戦争犯罪者として、1959年に釈放されるまで服役を続けました。

その間、皇帝から平民として習慣をおくるよう教育されたようです。

そして、公民として庶民になり、北京植物園で仕事をするようになりました。

最後に、溥儀は、再婚もし、1967年、北京で亡くなりました。

映画「ラストエンペラー」の感想

現実に、溥儀の壮絶な人生をあらわした映画あります。

それが、映画、「ラストエンペラー」です。

これは、イタリア、中華人民共和国、イギリスの合同制作でつくられた映画です。

1987年に公開されることになりました。

物語を通して、宮廷の楽しい生活から犯罪者まで落とされた溥儀の内面の葛藤が良く表現されている名作です。

前半の王様気分から、とらわれた国家のいいなりになり、ほんろうされる負の部分がリアルに演じられています。

ラストに、亡くなった後の彼の行動が感動ものです。

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